岸田新首相が見据える「1億円の壁打破」、不動産投資への影響は

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10月4日午後、岸田文雄首相が誕生しました。岸田新首相は、経済政策の方針として「成長と分配の好循環」を掲げています。具体的な施策は今後明らかになると思われますが、「分配」の一環として、現在一律20%となっている金融所得課税を引き上げる可能性を示唆しています。

この増税案が実際に実現するかは分かりませんが、もし増税が実現した場合、具体的にどのようなことが起こると想定されるのでしょうか。不動産分野への影響もあるのでしょうか。今回は、金融所得課税強化について考察してみたいと思います。

「1億円の壁」とは

岸田首相は自民党総裁選において、「持続可能な新しい資本主義の構築 ~中間層の復活・格差の是正~」(政策パンフレットから抜粋)として、富の適切な「分配」を強化することを打ち出しています。

この適切な分配の一環として、「金融所得課税の見直しなど『1億円の壁』の打破」(岸田文雄政策集より)を訴えています。

おおむね所得1億円を境に所得税の負担率が低くなる現状を指すのが「1億円の壁」と呼ばれているものです。

ご承知の通り、日本は所得税において累進課税制度を採用しています。

以下は所得税の税率構造です。個人所得課税という観点では、この所得税に加えて、一律で住民税10%が課税されています(よって、個人所得課税の最高税率は55%です)。

出典:財務省Webサイト(注:夫婦子2人(片働き)の給与所得者で、子のうち1人が特定扶養親族、1人が一般扶養親族に該当する場合の給与収入金額である)

図の形が示すとおり、日本においては、所得が高い人の方が税率が高くなる設計になっているということになります。

ところが、所得1億円を境に所得税の負担率が低くなる現状があるとされています。これはグラフを見た方が分かりやすいでしょう。以下は申告納税者の所得税負担率のグラフです。

出典:令和元年度東京都税制調査会 第2回小委員会 「2 金融所得課税に関する資料」

たしかに所得金額が1億円を超えると所得税負担率が低下しているのが見て取れます。なぜ、このようなことが起こるのでしょうか?

この「1億円の壁」現象の原因を示していると思われるのが、以下のグラフです。

出典:令和元年度東京都税制調査会 第2回 小委員会 「2 金融所得課税に関する資料」

このグラフは、合計所得金額に占める金融所得の割合を示したものです。1億円以上の所得を得た層は、所得のうち、株式などの譲渡所得が占める割合が多いことが分かります。

日本は所得税については累進課税ですが、株式の譲渡所得、上場株式の配当所得のような金融所得は、一律20.315%(所得税15.315%、地方税5%)の税率が課税される「申告分離課税」の対象となります(デリバティブなどを除く)。

つまり所得に占める金融所得の割合が多い人は、全体の所得が多くても所得税率自体は低いことがあり得るのです。例えば、給与収入で1億円もらうよりも、給与収入は5000万円、株式の配当収入を5000万円という形で所得を得ている方が税負担は軽いことになります。

「1億円の壁」が発生している原因は、上記のグラフのように、高所得者層ほど所得に占める株式などの譲渡所得の割合が高いことや、金融所得の多くは申告分離課税の対象になっていることなどにより、高所得者層で所得税の負担率が低下しているからとされています。

金融所得を多額に得られる個人というのは、資産を多額に保有していると想定されます。すなわち、持てる者=富裕層が金融所得課税制度の一律20.315%という税率の恩恵を受けており、これは富裕層優遇ではないかとされているのが「1億円の壁」の問題であり、岸田総裁は、この1億円の壁を打破するために、金融所得課税の増税を訴えているということになります。

1億円の壁打破における問題

ここまで、岸田首相が金融所得課税の増税によって、富裕層優遇の是正を図り、中間層の復活・格差の是正の一助にしようと主張していることを見てきました。

この考え方は日本のみならず、米国などでも見られます。世界的に見て、金融所得課税強化の機運が高まってきていると言ってよいでしょう。やはりキーワードは「格差是正」です。

ただし1億円の壁打破は、実効性という観点では問題があります。それはそもそも1億円の壁を超えている個人はごくわずかしかいない、ということです。では、実際に1億円の壁を越えている個人はどのぐらいいるのでしょうか。

まず、国税庁の「申告所得税標本調査」によると、2019年(令和元年)に確定申告などを行った申告納税者数は約631万人です。そのうち、1億円超の所得を得ている納税者は約2万1000人であり、申告納税者数に占める割合はわずか0.3%です。

所得区分ごとの申告納税者数(出典:国税庁「申告所得税標本調査結果」)

では会社員などの給与所得者はどうでしょうか。国税庁の「民間給与実態統計調査」(2019年)によれば、給与所得を源泉徴収されている給与所得者は約6000万人存在します。そのうち、確定申告が必要となる個人(給与収入金額が2000万円超の個人)は約27万5000人ですので、上記6000万人のうち大半は確定申告を不要としている個人であり、1億円超の所得を得ていないと考えられます。

以上から、概算で1億円超の所得を得ている個人の割合を試算してみると、1億円超の申告納税者2万1000人÷(給与所得者6000万人-2000万円超の給与所得者27万5000人+申告納税者630万人)=0.03%です。つまり1億円超の所得を得ている個人は日本の中で0.03%と、圧倒的に少ないことが分かります。

また申告納税者のうち、1億円超の所得を得た2万1000人の所得合計金額は5兆9693億円ですが、これは申告納税者全体の所得金額41兆6368億円の14.3%に当たります。

申告納税者に占める1億円超の所得者は前述の0.3%であり、この0.3%の個人が申告納税者全体の14.3%の所得を占めています。割合としては大きいと言えますが、それでも1億円超の所得を得ている個人への課税を強化しても、所得の再分配としては限界があるように感じないでしょうか。特に1億円超の所得を得ている個人は、給与所得者も含めた全体から見ると、わずか0.03%です。1億円超の所得層にさらに課税し、再分配を行うとしても限界があるのは間違いありません。

1億円の壁を打破する目的は、所得の再分配だと筆者は認識しています。そうだとすると、1億円の壁を打破する政策は、大衆受けは良いものの、目的に対する実効性という意味では弱いのではないか、という疑問が残ります。

一般国民への増税、という見方も

そして、金融所得課税の増税には、非常に大きな問題点があります。もう一度、前掲の申告納税者の所得税負担率の図を確認しましょう。

このグラフの税率は所得税部分だけですので、これに個人住民税10%が加算されます。株式譲渡所得や配当所得に課税される約20%というのは、金持ち優遇と言われていますが、800万円以下の所得層であっても個人所得に対する課税率は20%近くあります(9.2%+10%=19.2%)。

金融所得に対する約20%の税率は、富裕層にとって有利ということだけではなく、実質的には800万円超の所得を得ている個人にとっても有利になっているということなのです。要は、「大金持ち優遇」という形にはなっていないのです(800万円超の所得を得る個人はお金持ちか否かについては議論があるでしょうが)。この点を誤解してはいけないでしょう。

そして、証券会社に開設されている特定口座数は約3200万口座(2021年6月末、日本証券業協会)存在します。800万円以下の所得の個人でも口座を設けていなければ、このような数字にはなりません。

自民党総裁選では、高市氏が「金融所得『50万円以上』の税率を現状の20%から30%に引き上げる。これにより約3000億円の税収増を見込む」と発言しています。金融所得課税の強化・増税は、「1億円の壁の突破」と言いながら、富裕層のみならず、単純に大半の一般個人への増税となることは間違いありません。この点は忘れてはいけないでしょう。

金融所得課税の強化が不動産に与える影響

株式投資等で配当を得る、もしくは譲渡所得を得る、というのは、個人にとっては不労所得とも言えます。本業を持っていても資金があれば実践することが可能な、個人にとって重要な資産運用の選択肢です。

一方、資産運用、もしくは(誤解を恐れずに言えば)不労所得という観点では、収益不動産への投資があります。

金融所得課税と不動産投資は直接関係ないように思えるかもしれませんが、金融所得課税が強化されたならば、不動産投資の相対的な魅力が高まるのは間違いありません。今までは、株式投資は流動性があり(いつでも売れる)、そして税率が比較的低く抑えられていたため、魅力がありました。不動産投資を行うぐらいなら、配当狙いで高利回り株式(上場REIT含む)に投資した方が良いと考えていた投資家も相応に存在するでしょう。

しかし、金融所得に増税がなされるのであれば、キャッシュベースの配当利回りは低下します。例えば1000円の株価で、配当額は年間40円出ている株式があるとします。現在の税率では、年間の手取り配当額は32円となり、税引き後の配当利回りは3.2%です。ところが、配当に対する税率が約20%から30%に増加となった場合には、年間の手取り配当額は28円となり、税引き後の配当利回りは2.8%となります。

増税後は、含み益のある株式を売却する時にも税引き後の受取額が減少しますので、全体で見れば、株式投資へ期待する利益率(利回り)が低下することになります。期待利益率の低下は、株式市場に相応の影響を及ぼす可能性があるのです。

筆者は、金融所得課税の強化がなされたからといって、すぐに実物不動産マーケットに資金が流れていくとは考えていません。しかし、増税が実現すると株式などの魅力が相対的に低下することは間違いありません。それは翻って、収益不動産への投資が相対的に見直される可能性があるということにもなります。

1億円の壁の突破は、不動産マーケットともつながっているのです。今後の税制議論には注目していきたいと思います。

                                                  株式会社寧広